第10回
田辺新一氏 (早稲田大学創造理工学部建築学科・教授) に聞く
"未来環境制御"

識者の方々が語るさまざまな提言を、スペシャルコンテンツとして発信します。
第10回は早稲田大学の田辺新一教授に"未来環境制御"について伺いました。

快適性の研究に進んだきっかけ

— いまの研究に取り組まれるようになった経緯をお聞かせください。

最初は、温熱環境と快適性に関する研究から始まりました。私の恩師は木村建一先生です。木村先生はソーラーハウスや熱負荷計算といった研究をされていました。先生から、住宅の温熱環境について計算・測定・評価をしなさいと課題を与えられたのが、この分野の研究に取り組み始めたきっかけです。
ところが研究を始めて、実際に測定してみたら計算結果と違う。どうしてかと調べてみると、昼間は屋外から住宅内に熱が入って室内が暖まる、という条件で計算していたけど、実際はその住宅に住んでいる奥さんが昼間にカーテンを閉めてしまっていたと、そういう状況だったことがわかりました。カーテンで日射が遮蔽されてしまって、計算通りのパッシブ効果が得られなかったんですね。

— 住んでいる人の行動は計算では表しにくいですね。

そうなんです。熱や温度の物理量について計算しているだけでは、なかなか実態に近づけない。そこが難しかったです。そんなとき木村先生が「デンマークのファンガー先生がPMV (予測平均申告) という熱的快適性指数を提案しているよ」と教えてくれました。それで修士論文では、デシカント除湿空調システムを開発してその効果をPMVで評価するという研究をしました。
その後、博士課程に進学してから木村先生に「海外の大学に博士課程の学生が行くようなプログラムはありませんか」とたずねました。先生に「行ってみたいところがあるのか」と聞かれ、そのとき知っていたファンガー先生の名前を言いました。すると木村先生は「ファンガー先生ならよく知っているから手紙を書いてみよう」と言う。それから1カ月も経たないうちにファンガー先生からお返事をいただいて「デンマーク工科大学に3〜4カ月間のプロジェクトがあるが参加してはどうか」と言われました。それで博士課程1年生の秋にデンマークに行きました。実はそれが生まれて初めての海外渡航でした。

1984年当時は、いまのようなシベリア経由の直行便はなくて、アンカレッジ経由でした。その正式な往復航空券が70万〜80万円と高くて、とても個人では買えなかったんです。それで、当時安かったシンガポールエアラインでシンガポールに行き、それからモルディブ、ドバイを経由し南回りでコペンハーゲンまで行きました。 ファンガー先生はたいへん立派な方でした。そしてファンガー先生の提案するPMVは、快適性指標として世界中でよく知られていることも実感しました。先生のところには、世界中から有名な人たちが来ていて、とっても面白かったですね。本当にいろいろな影響を受けました。
ファンガー先生は、もう亡くなられましたけれども、私が行っていたときはまだ50歳でした。いまの自分は当時の先生の年齢をすでに越えていますが、未熟だと自分が恥ずかしくなります。

我慢しない省エネ

— デンマーク工科大学ではどのような研究に取り組まれたのでしょうか。

日本を出るとき先輩たちから「快適性の研究なんかやっても、日本の大学や企業にはセクションがないから将来食っていけないぞ」と言われました。当時の日本では、熱の物理計算や壁体の熱伝導などを研究している方は多くいましたが、快適性の研究は極めてマイナーでしたね。そういうアドバイスもあって、私も除湿空調などの研究に取り組んでいたのですが、デンマークに行って考えが変わり、快適性の研究にもっと取り組んでいこうと思うようになりました。
ファンガー先生は、人間が健康に、快適に住むためにはどのくらいの温度でないといけないか、気流はどう影響するのか、空気の清浄度はどうか、などの研究を進められていました。それだけでなく、デンマークでの体験は大きかった。デンマークでは屋外がマイナス20℃くらいなのに室内は快適でした。ふた冬過ごしましたけど室内は寒くなかった。このことに感動したのです。当時私は、築100年の住宅の半地下みたいな部屋を間借りさせてもらっていましたが、断熱性はいいし、放射暖房器は付いているし、お湯はちゃんと出るし、快適とはこういうことだと思いました。

— デンマークには2回留学されてますね。

1回目は約4カ月滞在しました。その後、日本に帰国したんですが、ファンガー先生が「また来なさい」と言ってくださった。それでその半年後、ファンガー先生がコペンハーゲンでCLIMA2000という国際会議を開催されたときにデンマークへ戻りました。研究施設は素晴らしいし、議論も面白いし、研究も面白いし、日本に帰りたくなくなりました。実はその頃には、早稲田大学で助手にしていただいたのですが、帰国予定の日なのに帰りませんでした。でも、しばらくするとさすがに僕も「帰ったほうがいいかな」と思って、予定の1カ月後に帰国しました。いま考えるとひどいことしてました。木村先生にもご心配をおかけしました。
そういうことで、やっと意を強くして日本に戻ってきて、快適に過ごしていくためには空調や建築・住宅をどうすればいいかという研究に没頭するようになったわけです。

— 快適性だけでなく省エネルギーについても研究されていらっしゃいます。

快適性と省エネルギーを両立させるべきだと考えています。当時の日本は、オイルショック後ということもあり、省エネルギーはとにかく我慢という雰囲気があった。でも私としては、省エネルギーは我慢じゃない。快適性と両立するべきだと思っています。これは一貫して変わっていません。

— 先生は、我慢の省エネルギーではなく、快適な省エネルギーで業務の効率を上げることを提唱されていますね。

はい。知的生産性は大切です。とくに、温熱環境と作業効率の関係は重要です。
10年ぐらい前に、コールセンターのオペレーターの作業効率を調べたことがあります。100〜120人ぐらい女性オペレーターが働いている職場で1年間ずっと、室内温度と1時間に何本の電話を取ったかを測定したのです。すると、快適な温度から1℃高くなると、電話を取る効率が約2%低下するという結果が出ました。この結果から、室内温度を25℃から28℃に、つまり3℃上げると、電話に出る効率が6%ぐらい下がるということがわかりました。
6%の仕事とは残業時間30分に相当します。30分を人件費に換算したら大きな額です。それなら快適な室内温度である25℃にしておいて、早く仕事を切り上げた方がいい。ただし、3℃下げた分、エネルギー消費量は増えてしまいますから、このエネルギー消費量を増やさないようにする方法を考えることが研究の課題だと思っています。
話は以前に戻りますが、デンマークからの帰国後は、温熱環境と日本人被験者の関係を示すデータをたくさん測定し、解析・評価して博士論文を書き、学位を取りました。その後、助手の任期が終わるときに、お茶の水女子大学家政学部被服学科に専任講師で雇っていただきました。僕は服も縫えないのに、どうして家政学部被服学科かというと、被服科では着心地の評価にも取り組んでいたからです。服を着たときに蒸すか蒸さないか、つまり快適か快適でないかという観点があった。僕のやっていた快適性の研究は、服にも関係があったんです。
それでもやっぱり最初の頃は、建築、建築といっているわけにもいかず、かといって服についてわからなくて困りました。でもまあ、楽観的な性格ですから、郷に入れば郷に従えと、東南アジアの服をたくさん集めるところから始めて、蒸暑い地域の服の快適性を評価しようとしました。東南アジアの島に行って服を仕入れ、お茶の水女子大学にあるサーマルマネキンという、着衣時の保温性などを測定できる人体形状の装置に服を着せました。ところが実験結果をみたら、東南アジアと西洋の服とでは蒸暑い環境での涼しさに違いがなかった。

— 蒸暑い地域で着ている服なのにですか。

インドネシア、フィリピン、ベトナム、ミクロネシア、ポリネシアなど蒸暑い地域で着ている服だから涼しいだろうと思っていましたが、測定したら、西洋のスーツとあまり変わらなかった。おかしいな、おかしいなと1年ぐらい悩んでいました。あるとき、これは風が吹いたら涼しいんじゃないかと思って、マネキンに風を当ててみました。そうしたら、風が当たったときにはスーツよりも全然涼しくなった。服の中を風が通っていくんですよ。これは建築と同じ考え方だなと思いました。
蒸暑い地域の建物は、風が通らないと涼しくならないのです。服も同じ構造でした。蒸暑い地域では快適になるために工夫されて、風が通る服になっているのです。
これが、お茶の水女子大学での最初の3年ぐらいの仕事でした。当時のお茶の水女子大学には住環境分野のセクションがありませんでしたが、やがて家政学部が生活科学部という名前に変わり、建築や住居環境を研究するセクションができました。そこで空調のことにも取り組み、実規模のオフィス型実験室を作ったり、助教授にしてもらったりして、10年間お世話になりました。30代はお茶の水女子大学で過ごしましたが、面白かったです。また、考える時間も充分ありました。それから、ちょうど40歳になったときに早稲田大学に呼んでいただきました。

視野を広げる

日頃から「人生って不思議だ」と学生に話しています。お茶の水女子大学のときに取り組んだのは、建築とは少し視点の違う研究でした。でもそういうことが面白いのかなと思うんですね。シックハウスの研究も、実はお茶の水女子大学で始めています。というのも、衣服の分野には化学系の先生がおられるので、学生たちが化学の基礎を学ぶからです。視野が広がるというか、ちょっと離れたユニークなことって、やっておくべきだと思っています。

木村先生とファンガー先生の両方の研究を学べたのは、よかったですね。先生方にはそれぞれの考え方、進め方、特徴がある。お二人の先生の考え方を、若い時に学べてよかったと考えています。
私の研究室の学生には「僕の言うことだけを信じるな」と言っています。盲目的にやってもオリジナリティが出ないし、教授だって間違えることはあるのだからと。複数のアドバイスを聞いて、自分自身がどう判断するかを考えれば、結構いい答えにたどり着けるし、自分の考えを確認することもできます。だから、たとえば大学院生同士の議論が自由にできる環境も大切だと思っています。

次は、これからの空調について。

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