第8回
坂本雄三氏 (建築研究所理事長) に聞く
"低炭素文明を目指す理由"

低炭素化への意識変化には隔世の感

— 坂本先生は最初に地球物理学を学ばれたそうですが、環境に興味を持たれたきっかけは?

子供のころから自然が好きだったので、大学のときは地球物理学を専攻したわけです。そのなかで気流や水流、気象などにかかわる流体力学に非常に関心を持っていましたが、理学では食えないと思ったので、建築環境分野に移りました。数値流体の研究をしていた1973年にはオイルショックがあって、みんながトイレットペーパーを買い漁ったりして慌てていました。このとき、こんな馬鹿げたこと、何とかならないのかなあと思い、次はエネルギー問題をやりたいと思っていました。
東京大学大学院の指導教官の松尾陽先生も、建築の省エネルギーはこれから非常に重要な分野になるとおっしゃっていました。先生はHASP (動的熱負荷計算プログラム) やPAL (年間熱負荷係数) の基準を作った方です。そういう先生の言葉も受け、それで、流体力学の気流シミュレーションで学位を取った後、省エネルギーの研究を始めたわけです。

— 省エネルギー基準の施行は1980年ですね。

1979年に省エネルギー法が国会を通って、省エネルギー基準の告示は1980年でした。住宅とビルのエネルギー利用に対し、緩やかな規制が始まった年です。それが、冒頭で申し上げたように2020年、あと7年後に義務化するという動きがあります。実現すれば、ひとつのゴールにたどりつくことになると思います。そのあいだ、ずっとこの基準に携われてきて、非常に幸せだと思っています。

僕は新菱冷熱さんとは昔から付き合いがあって、最近は国土交通省の基準整備促進事業でいろいろお世話になりました。それにしても、最近は時代の変貌を強く感じますね。たとえば、20年前までは太陽光発電への補助金だって難しかったんです。太陽光発電を住宅の屋根に乗せれば、それは個人の財産になってしまうから、国が補助金を投じるのはおかしいというのが当時の大蔵省の見解でした。ビルの空調は省エネルギーも技術革新も民間主導で進めればいいという感じでしたが、いまでは民間ビルの空調エネルギー使用量の実態を調べるために国の補助金が付くのですから、まさに「隔世の感」があります。

空調設備は民間の需要があって産業として育ってきたわけです。しかし、世の中が省エネルギー、省CO2という雰囲気になった今では、ビル空調の研究に対しても国の予算がつくようになりました。昔では考えられないことです。3.11の大震災以降は特に、空調も含めエネルギー消費がこれ以上増えると大変なことになると広く認識されていますからね。重要性が認められたということです。

史跡巡りは意外な発見が面白い

— 少し話題を変えまして、坂本先生のご趣味は?

年をとってからの趣味は、読書とちょっとした旅行でしょうか。特に歴史や文明関係の本が好きです。先ほど話した司馬遼太郎などを読んで、旅行や史跡巡りをするのが楽しいです。本に出てくる場所に行ってみて、偶然にも何かを発見するっていうのが面白いですね。司馬遼太郎の『翔ぶが如く』に出てくる宮崎八郎が印象に残っていたのですが、彼が戦没した九州の八代の萩原堤という球磨川の土手で、偶然に宮崎八郎の戦没の碑を発見したことがあります。10数年前の話です。そして、さらにその碑銘が司馬遼太郎の書だった。これには腰を抜かすくらい驚き、かつ、大感激しました。

宮崎八郎は、中国の辛亥革命を支援して有名な宮崎滔天 (とうてん) の兄で自由民権論者だったのですが、西南戦争のときに薩摩軍に合流して、八代で官軍と撃ち合いになって死ぬわけです。僕は家族旅行で、鹿児島から熊本へレンタカーで行く途中だった思いますが、塩浸 (しおひたし) 温泉に立ち寄りました。塩浸温泉は、坂本竜馬と奥さんのお竜さんが日本で初めての新婚旅行に行き、泊ったという場所です。その温泉に行った後、八郎のことを思い出して八代に寄ったのだったと思います。思いがけない「大発見」がものすごく嬉しかったので、印象に残っています。 それから、別の機会には、山口県の鋳銭司村 (すぜんじむら) という所にも行きました。そこは大村益次郎の生誕地で、彼の博物館があると聞いていたからです。靖国神社に銅像が立っている大村益次郎は、日本陸軍の創始者で、司馬遼太郎の『花神』の主人公です。小説の中では益次郎は馬に乗れず、戦のときでも馬を曳いて歩いたようなことになっていますが、鋳銭司村の博物館には、益次郎が馬に乗るために使ったという鞍が遺品として堂々と展示されていました。つまり、史実とは違ってしまうんだけれども、馬に乗れないと書いたほうが、西洋の学問に長けた益次郎をよく表現するのではないかと、司馬遼太郎は思って書いたわけです。そういう発見がまた面白いですよね。

『文明の生態史観』に代表される梅棹忠夫の文明論も好きです。ユーラシア大陸内部の大帝国タイプの文明圏 (中国圏、インド圏、イスラム圏、旧ソ連圏) の文明と、ユーラシア大陸の東西に位置する西欧・日本の文明との相違に対する指摘にはなるほどと思わせるものがあります。そういう文明の相違を踏まえると日本は、戦前のように大帝国の真似などして大陸と関わりを持ちすぎると、失敗するのではないかと考えることがあります。日本は、歴史的に他国や他の民族との接触が少なく、独立した社会を形成してきた、世界でも珍しい国だと思います。海を渡れば、そこは日本的な常識や考えが通用しないことを日本人は肝に銘じるべきです。いまの時代、世界は狭くなり、日本は世界の中で立ちふるまわねばなりません。しかし、それも程々にすべきでしょうね。

西ヨーロッパの国々、たとえばイタリアやドイツなどは、日本と共通する点もありますが、違いもいっぱいあります。イタリアは、お酒も食べ物もうまくて、文化遺産がたくさんあって、気候もよくて、国に経済的な問題があるとしても、それでいいじゃないかと思わせる雰囲気があります (笑) 。ドイツはというと基本的に理論の国です。哲学が好きで演説が好きで、人前でしゃべれなきゃ絶対偉くなれません。対して日本は職人の国です。技を重視し、無形文化財として認め、技術者・技能者は尊敬されます。技が何代も続くことに価値を認める国です。そういう価値観や労働に対する考え方の違いみたいなものは世界中にいろいろあって、大変興味深いですね。

本を読んだり人の話を聞いたりして、日本の文明や国民性について考えてみると、日本人は技を磨いて生きて行くほうが合っている国民なのかなあと思います。そうやっていると不利益を被ることもあるかもしれないけれど、世界からはその方がリスペクトされ、日本人は自然体で生き延びていけるのではないかという気がします。

次は、これからの空調技術について。

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