第4回
柳沢幸雄氏 (開成学園開成高等学校・開成中学校校長) に聞く
"人を育てること"

識者の方々が語るさまざまな提言を、スペシャルコンテンツとして発信します。
第4回は元ハーバード大学院教授で東京大学特任教授の柳沢幸雄・開成高等学校・開成中学校校長に"人を育てること"について伺いました。

教えることが好きだった

— 柳沢先生といえばハーバード大学や東京大学の大学院で環境工学をご専門とされる教授でいらっしゃいますが、今回は進学で名を知られる開成の高校・中学の校長になられました。そこで本日は、人を育てることについて、特に私ども企業がどう取り組むべきかについてお聞かせください。

開成に来たのは、ここの出身だからですが、ハーバード大学でも東京大学でもずっと教えるのが好きだったんです。もともと高校生のときは教師になりたいと思っていたんですよ。教師になるには大学に行かなければならないので、そのために懸命に受験勉強をしました。とはいっても大学闘争の時代で、大学では4年間ほとんど勉強しませんでしたけど……。

かいつまんで私のキャリアをお話しすると、大学を出てシステムエンジニア (SE) になりました。これは当時黎明期のコンピュータに興味があり、その関連の職業に就こうとしたんですが、同時に学者になりたいとの気持ちもありました。そこで、自分が本当になりたいのは何なのかを知りたくて、月に200時間も残業するSEの仕事をしながら物理の勉強を1日2〜3時間ずつしていました。勉強して十分に頭が働くことがわかって、それで「これなら研究者になれるかな」と思って、もう一度、大学院へ戻ったんです。

— そこで環境問題を手掛けられるんですね?

ええ、水俣病を告発した宇井純さんや写真家のユージン・スミスさんに触発されて。ユージン・スミスさんの写真には、水俣病の悲惨な状況が日常になってしまった母と子が写っている。もともと僕は環境問題が卒論テーマだったんです。環境問題を通じて化学を勉強したけれども、化学があそこまで人を痛めつけたということは、やっぱりこれは許してはいけないことだと。だから環境のことを勉強したいと思ったんです。 この大学院時代には、もう親がいなかったんで、学費稼ぎのために学習塾を開いて経営しながら勉強していました。

ところが、博士課程 (ドクター) を終えた70年代後半というのは環境問題の研究者は日本の大学では採用してくれないのです。環境やりたいんならちょっとお引取りくださいっていう時代でした。それで、論文を書いては国際学会へ出すことをしていたら、これは『国際マヴェリックへの道』という本にも書きましたが、ハーバード大学に呼ばれることになったんです。「ハーバードで失敗したら、また塾をやればいい」なんて考えて37歳のときアメリカへ行ったんですが、10年以上いました。その後、日本へ戻り、東京大学で地球環境問題をやることになり、そのころ新菱冷熱さんとも室内空気質などの共同研究を始めさせていただいたんですね。もう長いお付き合いで、新菱冷熱さんはいろいろなバックグラウンドの有能な人がいて、面白い会社だと思います。

とにかくいろんな職場を経験して、就活のために履歴書もたくさん書いてきましたが、小学生から博士までの生徒を教えた経験があります。おおむね10年サイクルで仕事場を変えていて、大学を出て、ビジネスを経験しつつ大学院を出るのに10年、ハーバード大学に10年、東京大学に10年、そして開成学園ですから、教えるという意味ではぴったりの職場でしょう。

自分で決め、説明できることが大切

— 柳沢先生のご経歴をすべてまとめてお伺いしたのは初めてでしたが、ご説明いただくと「なるほど」とうなずけます。人を育てる秘訣は何なのでしょう?

大学の教員には教育と研究の両方が求められて、日本では多くの人が研究を重視する傾向があると思います。つまり大学は研究するところだと。ところが、ハーバード大学は、きちんと教えることができて学生が講義に集まらなければ教員に給料が出ない仕組みなので、きちんと教えることを第一に考えないといけない。中学・高校なら教える内容は繰り返しになりますが、大学院では新しいことを教えなくてはいけないので、そのために研究するのです。新しいこと好きの僕にはそれが合っていました。

また大学では「サバティカル・リーヴ (研究休暇) 」といって、10年くらいで1回の長期有給休暇制度があって、教員はその制度を利用して休暇をとり、他の研究機関で研究するのです。この制度のように、ときには自由にしてあげて、研究の場所を変えるといいんです。これは、あるテーマで成功すると同じことをやっていればいいので、つい楽をしてしまうからです。僕のやっていた環境の例でいえば、二酸化窒素による汚染の研究で成功したら、ちょっと改良してオゾンでもCOでも、物質を変えるだけで同じ方法でやれちゃいます。そういうときは、場所を変えないと、新しいことができません。欧米の大学では、10年で芽が出ないときは人を育てるために別の分野に移しちゃいますね。

— ハーバード大学ではベストティーチャーに選ばれていらっしゃいます。柳沢先生は、具体的にはどのような教え方をするのでしょうか?

ハーバード大学でも東京大学でも、ひとつは仮説検証のプロセス、もうひとつは博士課程時代の研究テーマにこだわらない、つまり博士課程の次の研究テーマは柔軟に考えて、新しいことにチャレンジしたほうがよい、という2つを教えました。まず研究ではきちんと仮説を立ててから検証することの重要性を理解させます。頭の中で描いた仮説を実験データで検証して初めて「こうなるんだ」と説得できるということです。答えは「こうなっているはずだ」という仮説だけを信じてもらうんでは、研究とはいえません。 私は修士課程の1年生に、あらかじめ研究論文の目次を書かせ、予定どおり行けばデータはこうなるというグラフまで書かせてから研究に取り組ませるんです。これは、工学は見通したことしかわからないからです。たとえば、紙一枚の重さを測るのに体重計を持ってきても測れないわけで、ゴールの見通しによってどういう道具や分析機器が必要かも変わってきます。もちろん研究すると、仮説のとおりにはなりません。データも変わってきますが、そこが面白いんだと教えます。想定したものと変わったら目次を変えるんです。「犬も歩けば棒に当たる」式では、工学の研究はダメなんです。

— ドクターを終えたら研究分野を変えるのは?

個々の研究者にとっては同じ研究分野は10年しかもたないけど、そういう仮説検証という研究の本質をしっかり教えれば、どの分野でもやれるんですよ。一般には「ドクターを出てる人間は分野にこだわるので使いづらい」なんて言われたりしますが、研究の本質が身についていれば新しいことでもやれます。たとえば環境工学をやっていた学生が環境会計へと行けたりします。

そうした仮説が当たるかどうかが大切な能力で、それがあれば博士を出た学生が企業の中でもそれなりの場所に行けることになります。私の研究室は仮説を学生本人に作らせるため、研究室全体を見回すと研究テーマがバラバラで、何をやっている研究室かわかりませんとよく言われます。でも、その「仮説を自分で作った」と学生が思えるように指導することが大切な教育なんです。

次は、教育の日米比較について、です。

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