第6回
福田敏男氏 (名古屋大学大学院教授) に聞く
"世界で走ること"

識者の方々が語るさまざまな提言を、スペシャルコンテンツとして発信します。
第6回は名古屋大学大学院工学研究科の福田敏男教授に"世界で走ること"について伺いました。

ロボット国際会議と富山の薬売り精神

— 福田先生と当社とは、建設ロボットの共同研究から始まり、20年以上のお付き合いになります。福田先生は、IEEE (アメリカ電気電子協会) Robotics and Automation Societyの会長やDivisionXの委員長のほか、数々の国際会議の実行委員長を歴任され、世界的にご活躍されております。国際化、グローバリゼーションという言葉がよく聞かれるようになった近年、国際活動に必要なこと、海外の組織でリーダーシップを取るコツなどについてもお話しいただきたいと思います。
まずは先生が初めて手がけたロボット国際会議のお話をお聞かせください。

この件では原島文雄先生にお世話になりました。東京大学の電気工学の先生で、今は首都大学東京の学長をしておられます。かつて東京大学生産技術研究所の所長をされていて、僕は機械工学出身でロボットをやっていましたが「お前、面白いやつだな、来い」というわけです。留学先のエール大学から帰国したその頃は、失敗ばっかりしまして、失意に打ちひしがれているところを、先生が「じゃあ、お前、香港で国際会議があるから行くか?」と誘ってくださいました。

初めての香港でビクトリアピークとか、あちこち連れて行かれました。「俺やるぞ」と気分を持ち直しまして、当時37歳ぐらいでしたが、食事の場で酒を飲んだ勢いもあり「私もこんな国際会議の委員長をやってみたい」って、もうちょっと大人しく言ったと思いますけど、そしたら「いいよ、じゃお前、来年やれって」言われました。「わかりました」と言ったけど、やり方も何にもわからない。だから、いろんな人にいろいろ聞きました。お金もないので、いろんなところに行って支援をお願いしました。

国際会議を開くとしても、特別講演者にお金を出してもらって、日本に来てもらわないといけません。一般参加者は、海外からだと、飛行機代や会議参加費と数十万円払って来るんですから、それなりの価値がないといけない。日本では、有名大学の偉い先生が音頭を取って国際会議を開くのが一般的なのですが、それを僕が、37歳くらいの若造がアメリカ仕込みでやるっていう。そうすると「出る杭は打たれる」で、みんなからコンコンと、ずいぶんタンコブもできました (笑) 。

それを温かく見守ってくれたのが原島文雄先生です。IEEEで会長もされた先生が「これからは日本も若い人がやらならなければいけない。サポートするから」と言ってくださった。僕が「赤字になるかもしれません」と言ったら、先生が「君ね、国際会議の赤字なんて大したことないよ。どうせ400万〜500万の話だろう。ダメだったら、定期預金を解約するってかみさんに頭を下げればいい。俺も手伝うから。」と言うんですね。かみさんに頭を下げに行くことになったら怒られますから、随分とがんばりまして、なんとか赤字にならずにすみました。

そういう言葉って気楽になるじゃないですか。ああいう上の人というのは、そういう術を知っているんだなとよくわかりました。度量が大きい。ウィットに富んで、決して怒ることもない。すごいなぁと思います。

— 温かい後押しですね。覚悟ができたところで、次はどうされましたか?

とにかく動きました。私は田舎が富山県ですから、富山の薬売りの方法で動いたわけですね。薬売りは柳行李を担いで信用商売をします。使った分だけお金をいただきますよ、と行脚する。それを見てますから、信用を得るには自分が動かなくちゃいけないのをわかってる。だから、知り合いをたどり、レンタカーで回れるところを全部回って、めちゃくちゃ回って、ユタ州ソルトレイク、バークレー、エール大学、AT&Tベルラボ、レンセラー工科大学、パデュー大学、マサチューセッツ工科大学、ハーバード大学などなど一生懸命に頼みました。ドイツ、イタリアも回りました。会社でいえば売り込みですね (笑) 。

こういう行脚を1年やって、ようやく1988年に東京理科大学で国際会議を開きました。ありがたいことに大学の理事長が「使うなら理科大を使え」「バンバン何でもやれ」と言ってくれました。私が始めたその国際会議が今では世界でナンバー1の知能ロボットの国際会議になりました。IROS (インテリジェント・ロボット・システム国際会議、通称アイロス) というんですけれども、今年は25周年の記念会議をポルトガルで開きました。

 

普段着で手をつなぐ (ヒューマン・リレーションシップ)

今から25年前、第1回目の国際会議は、そういうことをやって成功させました。外国からいろいろな人たちがたくさん来てくれました。それが実は、人との関わり合い、つまり「ヒューマン・リレーションシップ」なんです。そうやって知り合ったみんなは私のことを「トシ、トシ」、イタリア人は「トーシオ」と呼びます。 12月なんかに海外に行って会議をやると、私の誕生日をみんな知っているんで、サプライズパーティで大きなケーキを持ってきてくれたりします。

— ネットワークが大きく広がったわけですね。

研究を進めるには、他機関との共同研究とか、連携も大事なわけですが、どう連携するかというと、やっぱり人ですよね。企業には目的や制約条件がいろいろとありますから、それを満足するように連携していくんですが、やっぱり、相手と共鳴するものがあって、それで握手できないとうまくいかないですよね。それが「リレーションシップ」です。それをごく普通に、普段着のままでやらないとね。例えば、会社の方が大学に来られるとき、裃を着たように畏まって来られることがあるんですけれども、ああいうことは必要なくて、ごく普通でいい。普通に話して、研究成果の話をしに来てもらえれば面白いと思うんですよね。

新菱冷熱さんとは長く共同研究をしたけれども、会社も社員の皆さんも雰囲気が良くてね。共同研究のミーティングを1ヶ月に1回しっかりやって、僕は社風が非常にいいな、いい連携ができるなと思いました。実際、面白い研究ができましたし、これは大成功だったと思っています。

— 私たちこそ勉強になりました。本当にお世話になりました。

そういう普段着の連携が、今の時代こそ必要だという気がします。国際的に見ても、多くの大規模研究所がダメになってきています。大きい研究所を分割したり、縮小したり、効率を追及して研究資金がなくなっちゃって、人が他社に移ってしまったり、という感じです。そういうのを見ていると、裃を着た研究所ではなくて「普段」着のままの研究所がいい、そして「不断」の研究を続けることがいいんじゃないかなと僕は思うんです。

次は、「リーダーシップは自ら動くことから」についてです。

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