第9回
堀賢氏 (順天堂大学大学院感染制御科学教授) に聞く
"感染制御への挑戦"

識者の方々が語るさまざまな提言を、スペシャルコンテンツとして発信します。
第9回は順天堂大学の堀賢教授に"感染制御への挑戦"について伺いました。

感染制御はマネジメントの学問

— ご専門の感染制御の分野というのは、どのようなご研究なのでしょうか。

病院の中で発生する感染症を医療関連感染症といいます。以前は院内感染といっていました。この発生を防止する研究、つまり医療関連感染対策の研究をしています。医療関連感染症には、たとえば手術後に傷口が膿んで術後感染を起こしたり、栄養を取れない人が体内に入れるカテーテルという器具から感染症を合併したり、インフルエンザやノロウイルスの季節に院外で感染したウイルスが院内に持ち込まれて入院患者さんに次々と拡がり、ついには集団感染に至ってしまうケースなどがあります。そういうことが起きないよう予防の手立てを打って、被害を最小限にとどめる研究ですね。

この専門医をインフェクション・コントロール・ドクターといいます。感染症を制御する方法のひとつは、まず院内への感染源の持ち込みを防ぐことです。たとえば朝礼の時に健康チェックをして体調不良の人は働かないように指導する人的な対策があります。あるいは、院内では「手指衛生」というのですが、ある患者さんに触れた医療従事者が手を洗わずに次の患者さんに触ると、感染症をうつしてしまう可能性があるから接触の都度、手を洗いましょう、と推進します。

感染の予防方法はさまざまありますが、人間の行動ですから100%遵守できるわけではありません。それをいかに向上させるかというマネジメントの学問といえますね。

— そのほかにも感染対策はありますか?

院内で、抗生物質 (正しくは抗菌薬といいます) が効かない耐性菌がはびこらないようにすることも重要です。そのためには抗菌薬をやたらに使わないようにしなければいけないのですが、現状ではどの薬をどれぐらいの期間投与するかは、治療を担当する医師の裁量権が大きいのです。治療成績を重視した結果、強い抗菌薬を使い過ぎて、それで耐性菌が増えたり、院内にはびこらせたりすることもあるんですね。

これを防ぐために、抗菌薬の適正使用を促す手順書、いわゆるマニュアルをつくります。この病院の患者さんと、この病院にいる菌の特性を踏まえた、「この病院に最適な薬のマニュアル」です。それを配って、みんなに使ってもらいます。その結果、治療効果が高ければ、次第にそのマニュアルの信頼性が上がることで臨床医からの依存性が増し、日常の診療に浸透するようになっていくわけです。病院全体の感染対策として正しい方向性が、知らず知らずのうちにみんなに浸透するような体制をつくるのです。

— マニュアルのとおりに進めてくれない場合はどうするのでしょうか。

医師に個別に丁寧に話して推進します。我が国の医療従事者は、高い行動規範を持っていますので、強制をするのではなく、抗菌薬を適正に使用するとはどういうことなのかというコンセプトを共有していただき、協力を要請しています。また治療対象は人間ですから、必ずしもマニュアルだけでは治療できないケースもあります。そのような場合に備えて、感染症の専門医による治療コンサルテーションがいつでも受けられる体制を整備しています。このように多重の手段を組み合わせて、病院の全体的な業務統制と安全管理を行っているわけです。

感染症が起きにくい環境とは?

環境には、感染症が起きやすい環境と起きにくい環境があります。起きやすい環境というのは高温多湿でジメジメして埃っぽい、カビがいっぱい生えて、水廻りも汚い。そういうところは、ばい菌の温床になりやすいことがわかっています。逆に病気が起きにくいのは、適度な湿度と快適な温度の環境。きれいでゴミひとつなくて、カビも生えていない。皆さんはどちらの病院に入りたいですか、ということになりますね。

— それは、いうまでもありませんね。

その快適な環境にするためには2つの方法があります。ひとつは、人の手で一生懸命清掃して快適な環境を維持すること。もうひとつは快適な環境を維持しやすいように設備や建築を工夫することです。最近の私の仕事には、一般社団法人日本医療福祉設備協会など建築業界とのコラボレーションが増えています。それには、病院の衛生的な環境を手間をかけずに安全・確実に維持したいという現場のニーズが高まっている背景もありますが、一方で建築・設備分野にはその解決に寄与できる要素技術が出てきているからです。その技術を、われわれの医療施設に反映して、実際に感染症が減少するかどうかの研究をしています。

イギリスに学ぶ

— 最初から感染制御にご興味をお持ちだったのでしょうか。

もともと感染症と微生物が専門です。細菌性の肺炎などに興味があり、医学博士の論文ではメチシリン耐性ブドウ球菌 (いわゆるMRSA) の薬剤耐性メカニズムについてまとめました。大学を卒業したあとに微生物で大学院の基礎医学の講座に進み医学博士を修めたのですが、そのときに"科学的に考える"という基礎を学びました。

多くの方は卒業したら研修医になって臨床の分野に入り、初期研修を2〜3年終えたら今度は自分の専門を選んでその医局に入る。そして一生その仕事をなさるのですが、私は大学を卒業後に基礎医学の分野で大学院生になり3年間基礎研究をしました。研究を終えた4年目から臨床の分野に入ったわけです。この最初の3年の寄り道で科学的に考える基礎を学びました。私にとっては科学的素養を涵養する期間になりました。臨床のいろいろな出来事を科学的に考えることができ、さまざまな新しい発見につながりましたね。

— イギリスに留学されていますが、どのようなきっかけですか。

そのきっかけとなったのは、新型のMRSAを見つけたことでした。あるとき、肺がんの術後にMRSAの感染症を合併した患者さんに対して、担当医が特効薬だったバンコマイシンを処方したのですが効かなかったことがありました。発売されて20年以上、耐性菌が出ない"究極の特効薬"といわれていた薬剤が効かなかったので、奏を功しない原因は、菌の薬剤耐性ではなく、患者さんの抵抗力が弱ってしまったためだとみんな考えたようです。ですがそのとき私は「ちょっと待てよ」と思ったのです。

手術ができるぐらい元気だった人が、手術後たった1週間で薬も効かないくらい体力が弱ってしまうのは科学的に考えておかしい。ひょっとしたら特効薬が効きにくくなったMRSAが体の中にいるんじゃないか。そう考えたので、患者さんの同意を得て喀痰を採取し、詳細に調べたら、まさにそうだったのです。その論文は日本の学術雑誌や有名な海外の雑誌でも掲載が拒絶されてしまったのですが、それでも諦めずに投稿したイギリスの化学療法学会誌に認められて掲載されました。みんなに袋叩きにあいながらも、われわれの科学的な考えに基づいた信念が粘り強い努力となり、ついには実を結びました。それがきっかけで、イギリスに留学するチャンスが巡ってきました。

— やはり基礎医学を学んだ3年間が大きかったのでしょうか。

20年前ですから、偉い先生の見解に反論するのは絶対的な御法度でありましたが、科学的に考える素地があったからこそ、教授に対しても臆せず意見をいえた、と思っています。だから、当時としてはかなり生意気な研修医だったと思います (笑) 。新型MRSAの件は、なかなか信じてもらえませんでしたが、論文が学会誌に掲載されてからは「よかったね」といっていただきました。

それで教授から、イギリスには耐性菌を増やさないインフェクション・コントロールという学問があると教えられ、妻と6か月の子供を連れてイギリスに留学しました。イギリスの文化に新鮮なギャップを感じながら、感染制御の勉強をしたわけです。

— 何年くらい留学していましたか。

1999年に留学して、戻ってきたのが2001年の秋でしたから2年半ですね。感染制御専門医コースの修了証を取得するには、イギリスのドクターの場合、通常は約5年かかるのです。けれども私は、日本で科学者としての最低限の素養を積んでいったので、最短の2年半で修了して帰ってくることができました。

— アジアでの資格取得者は初めてだと伺っています。

そうです。当時の日本は、感染症の専門家だけでなく、感染症を診断して治療する臨床の先生も非常に少なかったのです。1999年に日本を旅立つ時には院内感染の勉強をしに行くといっても「それは何ですか?」と医師の誰もが知らなかった。そんな中でも、微生物や細菌学の基礎研究をする学者がいろいろな耐性菌を見つけて治療法を提唱したり、少数の感染症の専門家と臨床の先生が力を合わせたりして、新しい耐性菌が迫りくる中で闘っていた。私が日本に戻ってきた2001年ごろは、そういう時代でしたね。

イギリスで私が学んだのは予防医学です。つまり、起きてしまった感染症を治そうというのではなく、そもそも起きないようにするための学問を勉強して帰ってきました。しかし当時は、予防医学というのは医療的資産や価値を生み出す診療行為としてはあまり認められていなかったので、診療報酬もほとんどないような領域でした。ですので、インフェクション・コントロールの世界ではご飯を食べていけず、帰国して数年は呼吸器内科としての仕事をこなしていました。感染制御の夜明けの時期でしたね。

次は、日本での転機について。

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