第9回
堀賢氏 (順天堂大学大学院感染制御科学教授) に聞く
"感染制御への挑戦"

院内感染制御の拠点に

— いつ頃から日本でもインフェクション・コントロールが注目されてきたのでしょうか?

日本での最初の転機はO-157事件でしたね。私がイギリスに行く前の1996年に起こり、汚染した食品から多くの感染者が出ました。この事件があって、感染症は起きたものを治すだけではなく、もっと前の段階から対処しなければいけないという認識が社会に広がり始めました。

2001年には、世田谷の病院でセラチア菌が関与した院内感染によって若い入院患者さんが何人も亡くなったことがありました。医療者が正しい準備をして医療に臨まないと多くの人が亡くなってしまう。このことが、社会に大きな衝撃を与えましたね。この件では、複数の患者さんの血液からセラチア菌が出てきて、その原因が点滴にあるらしいと報道されました。しかし当時、院内感染の予防医学専門家は非常に少なかったので、学会を代表する先生方も、詳しい原因がわからないと言っているような状況でした。

ですがじつは、すでに1970年代にはヨーロッパを中心に同じような事例が起きていて、対処法まで確立されていた古典的な事件だったのです。これが日本で起きてしまったのです。しかし、それをイギリスから帰国した私がいくら説明しても、当時は誰も聞く耳を持ってくれませんでした。けれども、1か月ぐらいあとに調査団が示した結果は、私が説明した仮説とまったく同じだったのです。それをきっかけに、いろいろなところから話を聞かれることが増えていきました。

— 変わったことを言うけどすごい人だ、と認識されはじめたわけですね。

帰国から4年間は日本の感染制御の黎明期で、その認知度が医学界にも社会にも広がっていった時期でした。徐々に社会のニーズが高まっていき、日本でも感染制御の学問を興していく必要性が高まり2005年には文部科学省が「21世紀センター・オブ・エクセレンス・プログラム」の募集を開始しました。これは研究と研究の重点拠点を形成しようとする大きな研究プロジェクトでした。そのプロジェクトに順天堂大学が応募し採択されました。それまでの科学的実績が認められ2005年から感染制御科学という講座が立ち上がりました。順天堂大学が院内感染制御の拠点となって、ようやく私の院内感染制御の専門家としてのキャリアを果たせるような素地ができたわけです。それが2005年からですね。

— 認められるようになってきたということでしょうか。

いや、当時はそういうことでもなくて、まだまだ、「何しに来た」っていう感じがありました (笑) 。会社でもクオリティ・コントロール部門は煙たがられますよね。われわれも医療の質を担保するクオリティ・コントロール部門なので、ウェルカムではありませんでしたね。今でこそ院内感染対策はすごく重要だと皆さんいうようになりましたけれども。

感染対策としての空調設備

— 空調設備における感染対策についてもう少し教えてください。

私の目から見ると日本の工業製品は除菌とか除染に対してほとんど考慮されていないですね。抗菌樹脂やコーティングがあるじゃないかとおっしゃるかもしれませんが、「タンパク質を完全に除去し、微生物を人体に影響がでないレベルにまで低下させる」という除菌の定義を満たすほどの効果はありません。あくまで、「付加価値的なもの」という扱いです。また日本の製品は非常に細かなところまで配慮や工夫が行き届き、消費者のニーズに寄り添った製品が多い。しかし、非常に複雑なものを小型化して、装置の中に押し込めている製品が多いのです。ですから、改善の余地があります。感染制御の立場からいえば、メンテナンスを無視しているからこその小さい製品であったりします。壁紙なども、風合いが大事だというので、でこぼこがあったりします。しかし、凹凸に汚れが残りやすかったり、清掃しにくくなったりしますので医療施設には適していません。汚れが感染の汚染源になるからです。

空調はというと、室内の快適性を高めるため、熱溜まりをつくらないよう空気を撹拌しますね。これは感染制御の視点でいえば空気の撹拌によって病原菌を広く拡散させていると考えることができます。快適性を追求するのも大事ですが、感染制御の立場からいえば、風上にいれば感染しないという現象にならい、医療従事者側から患者さん側に空気を流すようにして、風下で吸い出して効率よく換気するシステムにすれば、安全で快適な部屋にできる、というふうに考えるわけです。

— 当社は先生のご指導で診察室の空気の流れを設計させていただきましたね。

私は、医療と建築の融合という点が、今後の新しい研究テーマになっていくと思っています。新菱冷熱さんとは、数値流体解析技術を用いて、給気と排気の位置を調整し、同じ風量で効率よく病原菌を排出する研究を行っていますね。その研究では、給排気口を適切な場所に配置すれば、換気回数6回でも、従来型設計における12回換気より、病原体濃度を下げられることがわかりました。この研究により、御社の研究員の方が日本環境感染学会の学会賞 (優秀論文賞) も受賞されましたね。

ほかにも、多床病室の空調方式の開発も新菱冷熱さんと一緒に進めていますね。欧米では病室の個室化が進みつつありますが、日本はまだ多床室が多いのが現状です。そこで日本型の4床室のベッドとベッドの間にパーティションを置いて区切るセミコンパートメント方式を検討・開発しています。感染対策として、空気が隣の区画と混じりにくいように家具が天井までつながっています。また、部屋の中央から放射状に空気が吹き出し、患者さんの頭の上から空気を吸い出すという空気の流れをデザインして、隣の区画と空気が混ざりにくい工夫もしています。

こうした開発品が病院に導入されれば、仮に空気感染する病気の患者さんが入院したとしても隣の患者さんにうつるリスクは低減できると考えています。インフルエンザの患者さんが咳をすると唾液の飛沫の中の病原体が拡散するのですが、2メートル以上は拡散しません。でも、2メートル以上のベッド間隔を病院につくることはできないので、遮蔽機能があるセミコンパートメントの病室で空気感染対策と飛沫感染対策ができた病室を考案しています。建築設備的な観点との融合で感染症が拡がりにくい病室を設計できるわけです。

建設設備と医療の融合

そのほか、緑膿菌やセラチア菌など水廻りが好きな微生物がいます。それらが抗菌薬の効かない薬剤耐性遺伝子を交換し合ったりして耐性菌化するのはジメジメした水場で起きていることがわかってきました。ところがこれまでの日本の水廻りのデザインは、大きなカウンターの真中に浅いボール状の手洗い器があって、ちょっとエレガントなデザインですね。これはホテルなどではいいのですが、病院には適しているとはいえない。たとえば、多くの患者さんが共用で使用する中で、ひょっとしたら耐性菌を持っているかもしれない患者さんが顔を洗ったり歯を磨いたり手を洗ったりすることが考えられます。すると、周りにしぶきが飛び散り、長く残ってジメジメした環境になって、そこに微生物が温床をつくることがあると薬剤耐性がどんどん耐性菌に蓄積し、強い耐性菌になってしまいます。これを防ぐためには、水はねしにくい形状、つまりすり鉢のような急角度で深い、ふちなしデザインの手洗い器の方が適しています。海外の医療用手洗い器は、そういうデザインが当たり前なのですが、日本では家庭用を医療用に流用したりしているのが現状です。

— 病院に求められる特有の機能があるわけですね。

建築設備を設計する側が感染対策について知らない場合は、医療側から情報を発信して一緒に勉強していく必要があります。建築設備と医療との融合は感染対策を軸に進んでいくような気がします。

— 現在、当社も先生の研究室で勉強させていただいております。

はい。設備業界から学生さんを受け入れたのは初めてでしたけれども、医療と建築が融合した新しい医療福祉設備について、学会で表彰されたり特許を取ったりと、新しい取り組みが注目を集めはじめました。たとえば、局所換気装置であったプッシュ・プル式換気装置のコンセプトを転換し、扉を開けても隔離室外に空気が漏れない、いわゆるエアシャッター的な利用コンセプトを確立し、共同で特許も取得しています。

日本ではまだまだ感染対策を取り入れた建築設備設計が行われていません。設計のコンセプトに新しい考え方を取り入れていく。それが大きな社会的変革の一翼になっていくのでは、と期待しています。

次は、既成概念にとらわれない発想について。

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