第9回
堀賢氏 (順天堂大学大学院感染制御科学教授) に聞く
"感染制御への挑戦"

2つの文化を見る

— 最初は誰も目を向けていなかった感染制御に着目したような、既成概念にとらわれない先生の考え方はどんなところから生まれてきたのでしょう。

2つの文化を見たからではないでしょうか。日本とイギリスの文化を見て、180度違うものの考え方や生活様式を見て、正解はひとつじゃないなと思ったわけです。

たとえば日本では家の中で靴を脱ぐ畳文化があります。だから日本では10年前まで、病院の集中治療室でも靴をスリッパに履き替えることが普通に行われていました。だけど外国の人からは何で靴を脱ぐんだ?と聞かれましたね。彼らはベッドルーム以外では靴を履いていますから。そこで、どっちが正しいのかという研究が行われたところ、靴を履いていても脱いでも感染率は変わらないということが判明しました。すると日本も変わってきて、今は集中治療室でも手術室でも履き替えなくなりました。

このように、これまで正しいと思っていたことが実はそうでもないことがあるわけです。それを実際に間近で経験したので、まず既成の枠を1回外して考える癖がつきました。誰かが、したり顔で何か言っているのを聞くと「ほんとにそうか?」というふうに、ちょっと疑って考える (笑) 。既成の枠を外して、ゴールは何か、ニーズは何かを考えるというのを自分の今の根本的な行動原則にしています。

それを多くの人は「変わっている」というのですが、昔から改革者というのは変わっている人が多いので、僕は変人といわれるのは褒め言葉だと思っています。日本ではユニークという言葉はちょっと揶揄されたり、批判的な部分があったりしますね。でも外国でユニークというのは"唯一のもので、他に変わりがない"という意味で、非常に価値が高い。だから私はユニークを目指していきたいと思っているのです。

患者さん中心の医療、メディカルケア・サービス・プロバイダーへ

— これからの医療はどのような方向に進むのでしょうか。

われわれの活動を通じて院内感染が減り、患者さんが安全に入院して安全に治療を受けてすぐ退院できるようになると、患者さんの身体的な面だけではなくて、経済的にも良い点が出てきます。たとえば胃がんで入院し手術しても、合併症が起きなければ7日間か10日間で退院できるようになるでしょう。早期退院できれば患者さんの費用負担が軽減されます。ところがそこで入院中にMRSAに感染してしまったら入院が1か月近く延びて多額な費用が発生します。そうすると、患者さん個人の費用負担が増えますし、病院の経営の負担にもなり、国としても多くの医療費がかかることになります。最近ではこういう医療経済が明らかになってきたので、いまの日本は国策として感染症や合併症を予防しようという体制になってきています。

日本の生産人口が減って少子高齢化社会の中で医療費の負担が非常に大きくなっているので、最近では、病院の診療報酬の中に感染防止対策加算が付与されるようになってきています。将来的にはもっと進んで、感染防止の取り組みは標準化されるだろうと思っています。私は感染制御という学問を通じて医療改革をして、もっと患者さん中心の医療にしていきたいと思っています。

— 具体的にはどのような医療でしょうか。

日本の場合は、とにかく医師にお任せの医療になっています。たとえば検診を受けて、がんらしい影が見つかったとすると、こういう影があって、がんかもしれないので検査をします、よろしいですねと言われますが、患者さんとしては、よろしくお願いしますとしか言いようがない。ある意味、一方的に医療の方針が決められてしまいます。もちろん医師は、学術的に最良と考えられる医療方針を推奨しますが、ほとんど医師の提案に従っているだけになってしまい、患者さんが中心にいるわけではありません。

これからは、多くの情報を患者さんに提供して、患者さん自身が判断できるようにする必要があります。こういう医療サービスの役割をメディカルケア・サービス・プロバイダーといいます。そういう意識に医療従事者が変わっていかないと患者さんを中心とした医療の社会はできません。

患者さんがお金を出して医療サービスを受けているのに、不本意ながら合併症を受けてそれで不利益を被ったとしますね。別の病院に行けば合併症にならなかったかもしれない。そういうことを回避するには、それぞれの病院の合併症率を公開し、患者さんは合併症率のいちばん低い病院を選んで受診することができるようにすればいいのです。そして、こんな社会がアメリカには既にあるわけです。つまり、病院が医療の質を開示し、患者さんは病院を選ぶことができるのです。患者さんにとっての利便性と安全性を考える時代が来るはずです。それが日本ではまだまだ進んでいなくて、医師の技量や病院の実力は、単に手術の件数などでしか判断できないのが現状です

医療のクオリティ・コントロール

— 手術件数が多い病院かどうかは新聞や雑誌の人気記事になっていますね。

もちろん、手術件数も実績という観点からは大事ですが、成功率はどうか。また合併症率も同じように大事じゃないかと思います。安全かどうか、という指標を医療側が開示していく文化をつくっていかないといけません。医師の自己研鑽が数字でわかるよう、もっと医療改革を進めていきたいと考えています。

一般企業では、顧客のニーズに応えた質の高いものを提供し、高い満足度を得るように努力しますね。ところが医療の世界では、診療報酬という公的価格が決まっていて誰がやっても同じ価格で、合併症が起きるか起きないかは神様の仕業だとか、体が弱かったからですよということで片づけられがちです。単なる運みたいな話になってしまっています。

— 科学的でないということでしょうか?

医療の評価の指標が、まだまだ科学的とはいえません。一般社会の医療業界に対する信頼の寄せ方はすごく高いのですが、医療サービスのクオリティを支える構造は非常に脆弱です。医師とか看護師などの医療従事者それぞれの高いモラル、高い意識、社会行動規範が日本の医療の質を支えてきているのが現状です。献身的に患者さんに尽くしていく気質によっていたのですが、もっとシステマティックに、合理的に維持していく仕組みが今後もっと必要とされます。その中で院内感染対策も大きな柱として大事なのです。

— 先生のようなお考えをされている方は多いのでしょうか。

少ないですね。みんなに煙たがられますよ (笑) 。ただ、じわじわと変わってきています。たとえば日本には、医療安全管理という言葉があります。最初、この言葉は訴訟対策という意味で用いられました。でも今は、医療ミスによって患者さんが亡くなったり後遺症がでたりした際、事故原因を分析して再発防止策を立案し改善することを指す言葉に変わり、学問として広がっています。それから、公益財団法人日本医療機能評価機構では病院の医療の質や安全の向上に対する認証活動を行っていますが、この活動も10年になり、今では多くの病院が取得するようになっています。

医療訴訟の数にしても一時期は本当に多かったですが、今はむしろ減少傾向になっています。医療を提供する側の姿勢が変わって正しく説明されるようになり、説明不足が招いた誤解による不幸な訴訟事例がなくなってきました。事故が起きないようにする医療側の取り組みも進んで、訴訟件数は減少してきているのです。医療のクオリティ・コントロールが進みつつあります。そしてもっとシステマティックに進めていきたいと考えています。

— 本日は貴重なお話をいただきありがとうございました。

聞き手 中央研究所長

堀 賢 (ほり さとし) 氏

順天堂大学大学院医学研究科感染制御科学教授。1966年岐阜県生まれ。
順天堂大学医学部大学院医学研究科 (病理系・細菌学) 卒業。
医学博士。順天堂医院感染対策室長。英国病院感染制御専門医 (Diploma in Hospital Infection Control) 。英国Hospital Infection Society学会賞受賞。

スペシャルコンテンツTOPへ

ページトップへ